村上合掌造り民芸館(伊豆下田)


先日、(恒例の)旅行で友人と伊豆半島下田へ行ってきました。
のんびりと過ごして街中を散策しておいしいものを食べて過ぎていった二泊の旅。

日程の最後にふと興味範囲に立ち寄った場違いな合掌造りの民俗資料館、
外から見ると草ぼうぼう手作りの看板がたくさん立ちなんとも怪しいたたずまいでした。

呼び鈴があったので、カンカンと慣らしてみても返事は無し。
仕方なく庭に入っていき戸口で「すいません」と声をかけると「はいよ」との声。

しかし出てくる気配がないのでもう1度「すいません!」と少し大きめな声で呼ぶと
「入っといで」と呼ばれるがままに入り「戸は閉めてね」と言われる。

人を入れるために開けていたんだ・・・
中へ入ると、「まあ、座りなよ」と言われ囲炉裏の向こうにはヒゲ面のオヤジが出迎えている。

まず、入って最初に「タバコ無い?」と聞かれた。
連れの一人がしぶしぶタバコを差し出すと
「オレは客からもらうから自分じゃタバコは買ったことが無いんだ」 とのこと・・・

なんだこのオヤジは!?と思いながらも出るに出れず話が続く。
そのタバコを持ちマッチを不思議な方法で火をつけタバコに移す。

小さな木づちで叩いてマッチに火をつけるのだ。
何やってるの?と思ってみているとそれをやってみろと言うマッチを砕き、叩き付け格闘すること約30分。

罵られながらも出来ず悪戦してるうちにタバコを提供した友人Mが偶然火を付けることに成功したが、
ルールに反しているらしい。

どうやらこいつらダメだと思われたらしく理屈を教えてもらう。
理屈がわかってもなかなか慣れなきゃ付かない。
と、まあこれは話しの触りらしい。

「日本人はマッチを「折れちゃった」「先が無くなっちゃった」と言いやがるが、
てめえらが折ったんだ、先を潰したんだ! 

自意識が無いんだ日本人て奴は」と国民性の話しから始まり西洋文化と東洋文化の違い、
箸とフォークの必然性やカップの持ち手の必然性。
日本人が右へ習えの訳など話が続いた。中身は端折るけど。

聞いた話をここで書くんじゃ能がないし、ここでは問題としておこう。
ちなみに聞いたままで私たちなりには納得したが
別に裏付け調査をした訳でもないのであしからず。

Q1
何故、箸を使う文化とフォーク&ナイフを使う文化に分かれたか?

A1
違いは農耕文化と狩猟文化から来る。
捕獲した獲物をまず焼いて切り分ける為に各自が獲物をさばける道具が必要であるが
農作物の場合まず刻まれて鍋に入る為、食事の際はつまんで口に運ぶ物があればよい

Q2
何故、湯呑みに取手はなくカップには取手があるか?

A2
これも違いは農耕文化と狩猟文化から来る
獲物を手づかみ、または切り分けたりして油まみれの手には取手の無い湯呑み状の食器は
滑って落ちてしまう。逆に農耕民族は手が汚れないので取手は必要ではない

Q3
何故、日本人は人の様子を見てマネするか?

A3
これも違いは農耕文化と狩猟文化から来る。
狩猟民族では全ての狩猟者が同じ種を追うことは必然的に出来ないので必然的に違う獲物を追うことになる=独自性の発達。

農耕民族では天候はほぼ地域内は平等である。
何も分からずにいても分かる人間の様子を窺って同じ行動をすれば良いのである。
EX. あの爺さんが種をまいたぞ。だからうちもやるか

というような事を考えさせながら、答えを導き理解させた。
「知ったかぶりではなく、自分で調べ、考え、謙虚に知識や経験を高めていって欲しいという事だと思った」

最初は腹立たしかったが、妙に納得して出てきた民俗資料館だった。
勿論、合掌造りの中を見て歩くことも出来る。

そんなわけでフキの煮込みと手作りキャラメルとアロエ茶をすすりながら2時間の談話をして出てきた。
全て自家製らしく土産にもなっているが、惜しいかな一番感激したキャラメルは土産にはなっていないそうだ。

こんな感じで料金は一人600円以上任意。
別に宣伝ではないが、面白い体験をさせてもらったとおもう。
場所は伊豆下田 水族館よりちょっと先の辺。近くに行くと案内板がある

●その他の受け売り雑学
「勝手所」←「糧所」
「気心を知る」←「木心を知る」 
※木の性質を知らなければ囲炉裏の火をくべられない

「無茶苦茶」
※ここじゃ何だからお茶でもいかがと誘うのが一般風習という前提で
 誘ったクセに「茶も無」かったり、二番茶の「苦い茶」が出たりする
 とんでもないもてなしのこと。